現地時刻9:15から行われた予選。バーンは前日からの冷え込みで固まり転倒者が続出する。その中「アイスバーンは得意」という竹内は、2本滑って1分46秒33の最高タイムで1位通過する。現地時刻13時に始まった決勝トーナメントでは気温が上がってバーンが緩むが、スライドとカービングを使って巧みにボード操作し、見事に決勝進出を決める。
決勝1本目、竹内は赤コースからスタート。序盤の急斜面の掘れたコーナーにスライドで速度調整して入り、カービングでコーナーを出る。中盤の緩斜面、ロングターンのコースに入ると立ち上がりの速いクロスオーバーで加速し、最後の中斜面に差し掛かるラスト5本目のフラッグから、重心の高いミドルターンで積極的にインコースを取り、先にゴールする。滑りは完璧だったが、クンマーに着けた差はわずかに0.30秒だった。
「赤のコースの方が簡単」という竹内、2本目で勝負をかけないと負けるということはわかっていたのだろう。決勝2本目は青コース。赤コースのクンマーは先にスタートした竹内を追い上げ、中盤の緩斜面でついに追いつく。少しでもインコースをとここで勝負に出た竹内だったが、緩斜面から中斜面に切り替わるところ、掘れたコースの処理でわずかに立ち上がりが遅れ、クロスオーバーしたもののエッジが流れて、転倒してしまった。
「リスクを背負った結果、失敗した。でも全てが正しい判断だったので今は満足している」。メダルを受け取るまではずっと悔しかったそうだが、「日本の皆さんが銀でも喜んでくれたので」と晴れ晴れした表情で表彰台に上った。
4回目の五輪出場、それまでのテクニック重視から「10本滑り切る」ためにアメリカ・デンバーに渡り、筋力トレーニングに励んだ。腿の筋肉が肥大化し、履けるジーパンは一本しか無くなった。その甲斐あって、最後の最後まで元チームメイトのクンマーとデッドヒートを繰り広げ、観客を魅了した。
「今まで本当に簡単ではない競技人生だったので、ここでメダルを取れたことによって、一番は、次の世代に私のように遠回りするのではなくて、最短距離、近い道で表彰台、ワールドカップであったり世界のトップに来てくれたらいいなと思います。」
実はテクニカル技術では世界でもトップレベルの日本スノーボード。しかし、アルペンWCで準優勝しても世界ランキング2位でも、ハーフパイプやクロスで世界トップレベルの好成績を出してランキング上位に君臨しても、メディアに取り上げられることがないせいか、殆どの人がその事実を知らない。竹内が言うように、彼女のメダル獲得で少しでも多くの人が「スノボ」ではなく競技としての「スノーボード」に興味を持ってもらえたら嬉しい。
子どもが生まれてからスキーに履き替えた僕は、またスノーボード熱が再燃することになってしまった。とりあえずバッジテスト2級の取り直しから再開するか・・・