8月6日、次女のPTNAピアノコンペティション地区本選に付き添ってきました。6つの地区の予選を通過した、約70名の本選出場者が集まりました。そのうちわずか3名が全国決勝大会への切符を手にします。
本番当日の朝、娘はナーバスになり、ホール練習ではメタメタな演奏になってしまいました。非常に焦りましたが時間をかけてなんとか調整し、本選会場でも練習室を借りて最終チェックをして、本番に臨みました。
ステージ袖で出番を待ち、番号を呼ばれ、ステージ中央に出てお辞儀をします。拍手はありません。僕がペダルと足台のセッティングをして娘が椅子に座り、位置と高さを確認します。「大丈夫?」と問いかけると娘は「大丈夫」と答え、それを確認して僕は舞台袖に戻ります。
コンペにリハーサルはありません。目の前にあるピアノの鍵盤やペダルの重さ、音の響きがどんなであるかは弾いてみないとわかりません。会場は静まり返り、7人の審査員と観客の耳が演奏者に向けられています。そんな中でたったひとりピアノに向き合い、演奏が始まります。
2曲の演奏が終わりました。素晴らしい演奏でした。特に「春」は、マイカパルの故郷であるタガンログの、極寒の冬を経てようやく訪れた、ただ穏やかな春の情景を表現できました。思わず涙がこぼれました。
娘も自分の演奏に満足できたようで、二人で抱き合って喜びました。そして1時間後に結果発表・・・
しかし、掲示された入賞者の中に娘の名前はありませんでした。
この演奏に懸けていたという娘にとって、結果が伴わなかったという事実はショックが大きく、唇をかみしめて泣いていました。帰り道の途中で何度も立ち止まり、嗚咽を漏らして泣きました。
課題曲が発表された3月1日から5か月間、何よりも優先してコンペに取り組んできました。出場4回目の今年は、両親ともに多忙になったことでなかなか練習に付き合えず、レッスンのビデオをiPadで見ながら1人で特訓する日々が続きました。
ピアノのサイレント機能を使って夜遅くまで弾いたり、MIDIで音色を変えてみたり、僕が作った阿呆な歌詞を歌いながら弾いたりと、思いつく限りの練習をしました。
1回目の予選ではアクシデントがあり、初めて予選落ちを経験しました。この経験を糧にして、途中で何が起こっても動じずに最後まで弾き通す練習をしました。すると不思議なことに、これまでどうやっても出せなかったグルーブ感が、自然に出るようになりました。
黒鍵と白鍵の混ざった複雑な和音、オクターブを超える大きなフレーズも正確に打鍵できるようになりました。芯のある太い音も出せるようになりました。3年生になりB級に上がったことでさらに高い壁に直面し、それを乗り越えるべく懸命な努力をしたことで、得られたものは本当にたくさんありました。
それこそがコンペに必死で取り組んだご褒美であり、入賞を逃したことはさほど大きな問題ではないと僕は思っています。娘には審査に落ちた悲しみよりも、抱き合って喜んだ時の気持ちをしっかりと覚えていてほしいと願っています。
年末には2年に1度の発表会があります。そこではさらに難しい曲が待っています。いつも全身全霊をかけて指導してくださる先生と我々家族が一丸となって、さらに素晴らしい演奏ができるように頑張りたいです。
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